『ヨガは敷居が高いです』と、この前はじめて会った若い女性に言われた。
そうなのか?
ヨガを始めた時には、そんな事を考えた事もなかったが、逆にこれだけ流行るとそうなのかもしれない。
世の中のヨガのイメージが敷居を高くしている。綺麗な子がアクロバットみたいなポーズをとった写真をよくSNSで見かける。
そんな事自分にはできないと思って当たり前だ。
もっと本質的なものが伝わり広がっていってほしい。
ヨガを先ずする時は呼吸を意識する。そして身体を意識する事。
この2つが特にハタヨガでは大事だ。
時々身体の事を忘れたり呼吸の事を忘れたりするかもしれないけれど、両方とも忘れてしまってはいけない。音楽を聴きながらしていたら全て忘れて、ただ身体を動かしているだけだった、なんていうのは他のスポーツやジムの中だけの話しだ。
そしてアサナをして色々な事に気づいていく。気づきは体験、経験した事の中から起こってくると言われているから、学習は必要で視座を養う必要がある。
身体が柔らかいとか硬いとか、太っているとか痩せているとか、そんな事はヨガには一切関係ない。
勝ち負けもない世界なので、他のスポーツや競技と比べて、ある意味モチベーションを保ち続けるのは難しい。
ヨガの世界はそんな基準のない両極端な2つの世界に存在しているのではない。それは一般的なこの世を観る視点である。変わらないものと変わるもの、その2つの世界観に存在しているのがヨガだ。アサナもそうだ。変わる部分と変わらない部分がある。
気持ちがいいとか、きついとかそういう世界とは少しずつ、違って感じれるようになってくる。
やり過ぎも怠けすぎもいけない。
中庸が大切である。
30年ほど前、北海道にいた頃半年ほどヨガを学んだ時のヨガニケタンの先生(療法士のヨガニケタンではない)は、迷ったらヨガスートラを読むと良いと教えてくれた。
こうして聖人や聖典に書かれている事を頭ではなく心から理解していく、気づいていく。こうしてヨガは少しずつ上達していく。