前回の記事から、朝日を見る早朝ウォーキングが続いています。
朝型に切り替えようとしても、3日坊主だった私ですが、父他界後、ヒーリングプロセスとして始めたところ、
早朝の空気の「新鮮」さ、目にする光景の「輝き」、「平穏」な中に聞こえてくる生き物の息遣い…、「純粋な心」で歩けることに魅了され、続いてしまっています。
これら「」の状態の質に目を向ける時、ヨガ哲学でいう「トリ・グナ」を想います。
「トリ(3つの)グナ(質)」とは
「トリ(3つの)グナ(性質)」とは、この世界を作り出す原理とされ、以下の3つがあります。
- サットヴァ(Sattva):純性、純質
→クリアな状態、純粋な心、軽い、調和、幸福、 誠実、 知識 …等 - ラジャス(Rajas):動性、激質
→行為、激しい動き、激情、執着、躁 …等 - タマス(Tamas):惰性・鈍質
→無活動、怠惰、怠慢、不活発、無知、鬱 …等
このトリ・グナは、私たちの体、心、食べ物、場所、あらゆることの、エネルギー状態にあてはめられます。
過度なラジャス、タマスへ行かないようにバランスをとり、
サットヴァ(純性)に近づける=サットヴァ性を上げていくことで、私たち自身の心身や、生活の質を整えていくことができる、という智慧でもあります。
サットヴァ(純性)な時間帯
「時間帯」についていうと、もっとも、波動がサトヴィック(PURE)になるのが、
夜明け前(朝陽が上がる頃)と、落陽前(夕陽が沈む頃)
と言われます。
1日が始まり、活発な動性(ラジャス)に入っていく前の早朝や、無活動(タマス)に入っていく前の夕刻に、
・瞑想
・アーサナ(今一般にヨガとされる、体を動かすこと)
・ウォーキング・メディテーション
などをするのが、最も深く入りやすく、心身を純粋にクリアに、平穏に整えやすい、とインドのアシュラムで教わったことがあります。
もう随分前ですが、各国のアシュラムやエコヴィレッジなどで、サトヴィックな生活をしていたころは、早朝や夕刻のそうしたルーティーンが大好きでした。
「久しぶりに、あの透き通る静寂の感覚を味わいたい!」
という魂の渇望が、癒しの過程で沸き起こり、この早朝ウォーキングスタイルを日課にしているのかもしれません。
“純質”を選択肢へ
この、「時間帯にも、エネルギーの質がある」というのは、なかなか面白い考えだなと思います。
そういえば今朝は、いつもより遅い出だしとなり、朝日が上がった後に井之頭公園を歩きだしました。
ザクッザクッと落ち葉の上を勇み足で通勤する方々、電話会議をしながら歩く男性とすれ違ううちに、しだいに陽の光もギラついてきて、それを浴びた私の心身は、確かに「動」(ラジャス)性が、どんどん強くなっていきました。
日常生活でも・・。
活動時間ギリギリに、ガバッと起きて慌てて行動しだすと、朝から過剰なラジャス・スイッチ がオンになりますし、
ともすると外的なざわつきに身を委ねてしまい、イライラ、あたふたした1日のスタートに…💦。
逆に、あまり遅くまで惰眠を貪ってしまうと、
タマス(怠惰)で1日が始まり、そのまままったりモードで終わってしまう、なんて経験、どなたも一度はあるのではないでしょうか。
もちろん、お仕事の関係上や、同居メンバーとの兼ね合いで、太陽のリズムを取り入れた生活をできないケースも多くあると思います。
が、もし可能なのであれば、夜明け前や夕刻の純質なエネルギーを取り入れてみる。
難しいなら、自分の心身を「平穏」で「軽やか」に整えてくれる、別の時間帯や場所で休憩を入れたり、
さらには色々なアイテム(食、接する人、音楽、会話の質、使う言葉、接するメディアなど)においても、この3つの性質の観点で注目し、純性をチョイスしてみる、というのは、私たちができる、自分を整える工夫だと思います。
↑三角月の出の時間帯や、月自体を眺めるのも心がクリアになる時間
私たちの本質
最後に、もう少しだけ深い話を。
ヨガ哲学では、私たち自身の本質=真我は、「プルシャ」といわれます。
「激」「鈍」「動」「静」といったものがない、純粋な存在です。
(「霊魂」という表現もありますが、宗教的な見地ではありません。)
このサットヴァというは、
限りなく純粋な状態で、プルシャに近い状態です。
このプルシャが最初に活動を始めた状態がサットヴァであり、
ここから活動が始まり(ラジャス・活発)、
また別の方への活動(タマス・鈍性)も生まれ、
色々な状態が生まれていきました。
一見、サットヴァを高める、というと、
「無」になる、とか、「動きのないつまらない状態になる」と見えるかもしれませんが、
本来の私たち(純粋性)に還る、ということですなんですね。
朝早くの静かな時間帯や黄昏時というのは、そんなBack to Innocence、を味わえる時間帯。
ご一緒に、朝早く、歩いてみませんか(笑)?
最後までお読みいただき、有難うございました。