新年からはや半月たちましたが、いかがお過ごしでしたか?
今日は、ヨガの本質を感じることができた、ある曲をご紹介させてください。
先日、メキシコ在住の、私のSoul Sisterからメールが届きました。
思い出の街、Xalapa(ハラッパ)に住んでいた時に出会い、
誕生日が同じで、色々と縁深かったJanette(ジャネッテ)。
アメリカ国籍?メキシコ人?生態はナゾでしたが(笑)、
とにかくCubaをこよなく愛する、ボヘミアンなアーティスト。
私が父を亡くした直後はしばらく、花の写真を毎日送ってくれ、
その大きな笑顔と、温かい心に、今も元気をもらっています。
そんな彼女も、最近メキシコの大切な友人を、コロナで亡くしたという中で、送ってくれた曲がこれ。
India.Arieの“I am Light”。
(アルバム『Songversation』2013年より)
先日、こちらに書きましたが、
新年の書初め会で、書道家の先生に、
「光」「晃」「光明」の甲骨文字を書いて頂きました。


まさに光が発せられているようで、見る度にパワーを頂きます。
「明」を構成する、「月」(ハ)と「日」(タ)は、
この現象界における、相対、対極と見えるものの象徴。
それを「繋ぐ、調和する、統合する」のがヨガ、
という「ハタ・ヨガ」の由来も書きました。
そしてこの曲は、その内容にぴったりと思える歌詞でした。
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“I am light” by India.Arie
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I am light
私は光
I am not the things my family did
私とは、「私の家族がしたこと」ではない
I am not the voices in my head
私は、「頭の中の声」ではない
I am not the pieces of the brokenness inside
私は、「内に抱えた傷のかけら」ではない
I am not the mistakes that I have made
私は、「私が今までしてきた失敗」や
or any of the things that caused me pain
「私に痛みをもたらしたどんなもの」でもない
I am not the pieces of the dream I left behind
私は、「私が置いてきた夢の断片」ではない
I am not the color of the eyes
私は、「目の色」ではない
I am not the skin on the outside
私は、「肌の色」ではない
I am not my age
私は、「年齢」ではない
I am not my race
私は、「人種」ではない
My soul inside is all light
私の内なる魂は、すべて光
All light
すべて光
I am the divinity defined
私は、「神聖なる存在」
I am the God inside
私は、「内なる神」
I am a star of pieces of it all
私は、「すべてのかけらを集めた星」
I am light
私は光
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自分の解釈で色を付けないよう、なるべく直訳のつもりですが‥💦
聴いた時、ご自身の感じるままに、とらえるのが良いですね。
グラミー賞に23回ノミネートされ、4回受賞した彼女ですが、
その後、肉体的・精神的にクラッシュし…。
2012年にある覚醒体験をして、紡がれた言葉のようです。
その後も覚醒プロセスを歩み続けてさらに3年後、力強く歌う姿からは、溢れ出る魂を感じます。
私が受けた、ヨガ・ティーチャー・トレーニング・コースで、
Self Knolege(自知、ほんとうの自分とは何か)を教えていたJohn Weddepohl師は、よく言っていました。
ヨガとは、ある意味「離婚」のようなもの。
本来の意味の由来は「結合」だけど、
それは、「自我」との「別離」でもある。
EGO(自我)は、TRUE SELF(本当の自分、真我)ではない、と思い出すのがヨガ、と。
まさに、India. Arieが歌う、
「私」とは、肉体、環境、してきたこと、思考や思い込みではない。
自分だと思い込んでいるものは、本当の自分ではない。
自分自身だと同一視しているものを、超越したBeing(存在)、ということ。
それを、インディア・アリーは「光」「神聖なるもの」と表現していますね。
そういえば、オーラソーマという色を用いるセラピーがありますが、
オーラはラテン語で「光」、
ソーマは古代ギリシャ語で「身体」 、
従って、「光の身体」。
サンスクリット語で「生きているエネルギー」を意味するそうです。
「光の身体」って怪しいですが、
現代物理学、量子力学が、すべての物質は波動、光と証明しつつあるように、
人間はこの肉体に限られないエネルギー体、とオーラソーマも捉えます。
話をヨガに戻しますと‥。
体を動かすアーサナも、ストレッチをして鍛えているかのようですが、
本来は、その後に、
「私は、この身体ではない、思考ではない、〇〇ではない‥、〇〇でもない…」
と、静かな瞑想に入っていくためのものでした。
どんどん、玉ねぎの皮をむいていていくように…。
すると、何も残らない。
ただ、純な、隔たりのない広がりだけがある。
そこに溶け込んでいく瞑想を、
今年はもっと味わっていきたいと思います。
コロナ禍で丸くなっても、(;’∀’)
たとえコロナになっても、
肩書が変わっても、
なんであっても、
本当の私たちは、それに制約され、定義されるのものではありませんね。
大変なことも多い日常ですが、
あまり深刻にならずに、いきましょう✨
本当の私たちは、それ以上の存在なのだから‥。
それでは1月後半も、良き日々を!