本日は、今の状況を考慮し、家族だけの、父への小さなお別れ会でした。
4日経っても、肌色が綺麗だったこと、
心なしか表情が安らかに見えたことに、ほっとしました。
火葬後、すっかり白骨になった父の体。
しかし、175㎝ほどで体格も良く、骨太&骨密度も高かったため、
係りの方が頑張って、ギュウギュウ、ゴリゴリ押し込め、
何とか、ようやく骨壺に収まりました。。。お手間をおかけしました。
立派に残った骨を、部位ごとに下から解説して頂きながら、
父にマッサージしていた時の感触を思い出していました。
訴えていた脊椎管狭窄症の痛み、坐骨神経による脚のしびれ、
「上がらない」と言っていた右腕の肩関節…
そうした痛みや不調から解放されて良かったなと思います。
私が大好きなインドの聖者の本「あるヨギの自叙伝」(パラマハンサ・ヨガナンダ著)で、
「肉体の素材費なんて5ルピーくらいのもの」みたいな表現がありました(ニュアンスは異なりますが‥)。
どんな美女や、手入れのされたトップモデルやマッチョの肉体美も、実体は「骨」…なんてのも言われることです。
もちろん、目標やモチベーションを高め、自他を魅了するような肉体を磨くことは素敵だと思います。
何より、身体の健康は、元気に生きる上で大切です。
が、必要以上に執着しても、個体として残るものは、本当に骨( リン酸カルシウム )のみ、というのもまた事実・・・・
そんなことを思っていたら、解説が頸椎まで上がってきました。
収骨に立ち会われたことのある方ならご存知かと思いますが、
第二頸椎の骨は、仏様が座っているお姿そのものなんですね!!
一般に「のどぼとけ」と言われる部位よりは少し上ですが、
「その人の仏様になった姿」として、首の骨が火葬場で尊重されている由縁を目の当たりにし、思いがけず感動してしまいした。
骨、されど、骨。
精妙に組み立てられた人体という小宇宙は、神秘そのもの。
足裏、手、頭にある反射区や、中国古代の医学書「皇帝大経」などに触れる折にも、そう思います。
そして、私たちの肉体は、魂の乗り物であり、寺院。
過度な装飾に執着し過ぎず、
日々、体を清浄に保ち、なるべくクリーンなものを頂いて、ケアしていきたいものですね。
その上で、健全で建設的な考え方、心の平安を大切にし、
愛を周りとシェアしていく…
そんな目には見えない生き方の部分こそが、白骨になった後も、実は残ってるものなんだな‥
なんてことも、精進落としで思い出を語りながら、ぼんやりと思っていました。
思わぬ解剖クラスをしてくださった収骨係の方、
そして本日お世話になったすべての方々に、
心より感謝御礼申し上げます。